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授章御礼

令和5年秋の叙勲において、瑞宝中綬章を受章されました小坂田宏造名誉教授より大阪大学基礎工学部機械工学同窓生に向けてのメッセージを頂戴しました。

授章御礼

小坂田宏造

 2023年の秋の叙勲において瑞宝中綬章を頂けることになり、11月13日に東京のホテル椿山荘の伝達式で勲章と勲記を頂き、その後にバスで皇居に向かい、皇居豊明殿において天皇陛下に拝謁しました。瑞宝中綬章は、主に、国立大学で教授や助教授として長年勤務した人に与えられる勲章ですが、私は神戸大学で14年間助教授、広島大学で4年間教授、大阪大学で18年教授と、勤務年数だけは長いために授章したようです。最も長く勤務した大阪大学基礎工学部・研究科では、学生であった皆様に支えて頂いたお陰で無事過ごすことができ、厚く御礼申し上げます。

 私が大阪大学に移るきっかけは、広島大学教授に赴任して間もなく当時大阪大学基礎工学部長をしておられた福岡秀和教授が蒜山への研究室旅行のついでに訪ねて来られ、退官された山本明教授が担当されていた生産加工学講座の後任教授にお誘いを受けた時です。当時の福岡先生は超音波による材料強度測定の研究を中心にしておられましたが、以前は塑性力学の理論研究もされておられたため日本機械学会関西支部などで面識がありました。塑性加工などの研究では企業や大学に仲間の多くいる関西が便利かと思うようになり、また神戸の両親が相次いで亡くなったという個人的な事情もあり、1988年に大阪大学に移りました。

 大阪大学基礎工学部と基礎工学研究科では、生産関係の科目の他に塑性力学や計算力学を担当しました。自分自身が学生時代に習った生産関係の授業が加工方法の羅列で面白くなく興味を持たなかったことから、加工方法の物理や力学を中心とした内容にして、ものづくりを科学的に考えるような工夫をしました。

 大阪大学に赴任した頃はバブル経済の最中で、世の中では土地や株式の高騰で苦労なく金儲けができる仕事が人気を集め、金融立国が将来の日本の姿と考えられていました。製造業は危険、汚い、きつい3K職場と呼ばれて嫌われていましたが、中でも鉄鋼などの塑性加工関連企業は人気のない仕事でした。基礎工学部の中でも生産関係の科目は学生の関心が低く、科目の魅力を持たすために苦労しました。それでも、有限要素法解析を中心にした塑性加工の研究は泥臭いイメージを薄めたのか、研究室では博士課程まで進学した学生も多く、留学生や社会人も多く入り、研究室は活気があったように思います。

 大阪大学では、神戸大学時代に開発した剛塑性有限要素法と広島大学で学んだ情報工学の手法を結び付けて塑性加工法の最適化を中心に研究をしていました。しかし、有限要素法と情報工学を組み合わせた研究結果は産業界では殆ど使われなかったため、研究の方向変化を模索していました。鍛造や圧延といった塑性加工法は20世紀期前半までに欧米で開発された技術であり、有限要素法も1960年前後に航空機の弾性解析のため米国で開発された方法であったため、自分の研究のルーツは日本にはないように感じていました。このため、日本の研究者としては、今までにない日本発の基本技術の開発が不可欠であると思うようになりました。

 1990年代後半から、有限要素法解析とコンピュータ制御を道具として新しい金属加工方法の開発に集中するようになりました。(その後開発されたサーボプレスのように)スライド速度を自由に変化したり逆転したりできるプレスの出現を想定した新しい鍛造方法や、金属粉末の上にレーザー光を走査して積層して成形する金属三次元造形などの新しい加工方法を研究室の学生の皆様と一緒になって開発しました。

 新しい加工方法が実用化されるには産業との連携が不可欠であり長い時間もかかりますが、多くの研究者・技術者が新規技術の開発をしないと、(1970年代に私が留学していた)英国のように製造業の衰退を招くという思いで、2006年に大阪大学を退官するまで、これを続けました。

 大阪大学退官後は、以前から研究で協力関係にあったダイジェット工業㈱と㈱ニチダイから顧問就任の声がかかり、現在まで若い人たちの技術開発の教育に携わっています。また、現在の日本の製造業では人材育成と新技術開発が最重要課題と考え、同分野の友人たちとフォージネットという技術コンサル会社を作り、製造企業の技術者教育や技術開発のお手伝いをしています。

 コロナ禍は終わりましたが、ウクライナやイスラエルでの戦争、1990年代の日本に似た中国の不動産バブルの崩壊、欧州の不況、米国の国論二分など、世界は第二次世界大戦前のような不安定な状態にあります。日本を支えている自動車産業でも内燃機関自動車から電動自動車への移行が進行しており、日本産業の基盤が揺るがされる恐れもありますが、新技術開発により低迷して来た経済から脱出するチャンスの可能性もあると思います。

 大阪大学に赴任した1990年頃のバブル時代やその後のバブル崩壊後の時代には金融やIT、バイオなどを日本産業の中心にする夢物語が語られましたが、最近では日本を支えているのは製造業であることがはっきりしてきました。大阪大学基礎工学部機械関係学科を卒業された皆様には、得意とされる科学的思考により技術開発の先頭に立って、ロボットやハイブリッド車、工作機械のような機械と情報技術を組み合わせた日本の得意技術を進化させて行かれることを夢見ています。

Last Update : 2023/11/21